You say yes, I say no,
やっぱりビートルズってすごいなぁ。。ラブだわ。
なぜそう思ったかというと、、ちょっと話が長くなります。。
2019年の大晦日のRIZIN見ましたか?
12月31日に開催されたRIZINのライト級トーナメントを制し優勝したトフィック・ムサエフ選手。
トーナメント本戦前に初戦のハイライトが映像で流れたんですが、その時点でこの人、優勝するわと思った人もいたのではないかと思います。それほど存在感が他の選手と違っていました。
「アゼルバイジャン!」と勝利した瞬間に雄叫びをあげる姿が印象的で、自国をレップする 愛国心を叫ぶ そのド直球のスタイルが 何か ひっかかるものがありました。
どんな国なんだろうと検索した時に、引っかかったのがこのブログ https://azervisa.weebly.com/
旅行サイトや自己肯定感ありきのポジティブな意見ばっかりのレビューと違い、現地でのリアルな生活や、現地の人間性へのシニカルな感想が書いてあり、興味深く拝見させていただきました。
https://azervisa.weebly.com/baku-merit-demerit
アゼルバイジャン人に限らずイスラム教徒は一般にとても頭が固く情報が古くそれでいて頑固です。一度自分がそうだと思ったら、新しい情報を一切受け付けず、自分の考え(思い込み)を貫きます。日本に関してだけではなく、全てにおいてそんな調子なので、言い方は悪いですが、ちょっと思考が停止しているように感じます。イスラム教という宗教自体が、理屈や論理ではなく、コーランに書かれた内容を厳密に信じ込む宗教なので致し方ないのかもしれませんが。
アジア人に対し嫌がらせしてくる人もかなりいます。よくあるのは、アジア人の顔を覗き込んで馬鹿にしたようにゲラゲラ笑ったり、釣り目のポーズをしてきたりです。今や世界的なトレンドとなってしまったアジア人に対する差別・マウンティング・嫌がらせがここバクーでも繰り広げられているのです。
歴史上ヨーロッパ文明とほとんど接点のないアゼルバイジャンにヨーロッパ調の街並みが存在していること自体が異様です。
普通の国なら「恥ずかしいことをするな」と国民が怒り出すはずですが、アゼルバイジャンでは「どうだ俺の街は素晴らしいだろう」と、決して素晴らしくないもの自慢してくるのです…アゼルバイジャン人と話していると「良くないこと」「レベルの低いこと」「間違っていること」「パクリ」を自慢してくるので、もうなんか頭痛がします。
今回はあえて、アゼルバイジャンの素晴らしい点ではなく、悪い部分のコメントを参照させていただきましたが、このズバリという口調に著者の感じたリアルなアゼルバイジャン象が感じられ、イイものを読ませていただいたと思いました。
そしてこの部分、「統制されている」という部分にひっかかるものを感じました。
日本は日常生活からメディアに至るまで「独裁国家がよく用いる国家統治の手法」が浸透しており、結果として超抑圧的で超排他的で、それでいて超安定な(まるで独裁国家のような気持ち悪い)社会が実現された超特殊な民主国家なのです。日本の皆さん、いい加減気づいて下さい。
民主主義国家でここまで統制が厳しいのは日本と韓国ぐらいですよ。日本の皆さん、もっと世界に出て冷静に国際比較しましょう。
ちょっとここは、私の語彙力がなく、微妙である部分なのですが、人によって世界の見方が違うということです。
著者のように、世界で生活した人間にとって「日本は「統制されている」ように見え」、私には「「統制されている」に見えない。。」
一言でいうと、経験により見え方が違うということですね、、この場合は、著者の方がより「日本は統制されている」が、真実という見方ができるかもしれません。
ここから導き出されるのは、
人間の経験、自分の経験によってしか、物事を判断できない ということだと思うのです。
私は約2週間ほど、インドをにわか旅した経験をしました。 そこでは、インド人は時にやっかいで、嘘っぽい人もいましたが、やさしく親切な人に会い、インドへの親近感が湧きました。
逆に旅先であった軟禁されたといっていた大学生は、すぐに帰りたい、こんな国にいたくないと言いました。
インドを旅行するという同じ経験でも、起きた事象によって感想、感じ方が180度 違う。。
そして、同じ事象でも捉え方の違いで感想が違う。
これが人間なんだと思うんです。
だから、生きている世界はひとつのように見えても、何層にも違った世界がある。
地獄のように苦しんでいる人もいれば、楽しんでいる人もいる。すごく不思議ですね。
冒頭のビートルズに戻りますが、「You say yes, I say no,」文字通り、世界をYESともNOとも捉えられる。
それは「心」次第ということです。
ピース。